氏名 岩佐 克彦
出身 熊本県天草市
移住年 2024年4月
年代 40代
家族構成 単身
職業 株式会社オトナリ 代表取締役
琴浦暮らしをはじめるまで
1996年 福岡県でコンサートプロモーターとして働く。
2003年 東京都でライブハウスの店長を勤める。
2003年 東京都でコンサート制作をおこなう。
2008年 東京都で芸能マネージャーをおこなう。
2021年3月 蒜山に移住し、株式会社オトナリを立ち上げる。
2024年4月~ 琴浦町に移住。

なぜ、琴浦町に移住を?

THEATRE BROOKのライブを観た時に一気に魅了されたことがきっかけで、長年音楽業界いました。最初はコンサートプロモーターというライブ中の手配をするお仕事から始まり、ライブハウスの店長やコンサート制作の経験を経て、アーティストのマネージャーも。最終的に某アーティストの個人事務所で、ぼくが唯一の社員として二人三脚でやってきていたんですけど、不規則な生活や業務量、そこにコロナ禍だったことなどで、限界にまで疲弊し、音楽業界からは離れました。そこからは関東から蒜山に移住し、「隣の人を幸せにすることを忘れないように」の意味を込め 株式会社オトナリ を立ち上げました。 そして、以前は逢束にtotonoi(e)(現在閉店)というカフェがあって、蒜山にいた頃にそこを運営しないか?と声をかけてもらったのが琴浦への移住のきっかけでしたね。

現在、どのようなお仕事をされていますか?

いくつか兼業しているんですけど、まずひとつはヘイジースターカフェ&レコーズというミュージックバーでBAR営業を行っています。ぼくは邦楽のみが楽しめる日や一緒にスポーツ観戦を楽しめる日を担当していますので、開催日などの詳細はインスタグラムのお店アカウントをご確認ください。場所は大山の滝という居酒屋さんがあったところですね。また、ショッピングセンターのアプトさん内でオトナリコーヒーというコーヒー屋さんも。こちらのお店では、ぼくが惚れ込んだ全国各地のコーヒーを扱っています。町民のみなさんの生活の合間に、ほっとくつろぐ空間が作れたら良いなって。

琴浦町の住み心地はいかがですか?

必要なものは町内で揃いますし、全てがちょうど良いですね。東京で働いていた時は毎日車通勤で、本来30分で行ける距離が通勤ラッシュで1時間半もかかっていて。何時に家を出たら何時に到着するっていう、時間の読みが難しかったんですよ。でも、琴浦では5分後に着けばいいって場所にちゃんと5分前に出れば絶対着くので、時間を有効に使えるなって。規則正しい、普通の生活をするのにはすごくちょうど良い町だなって思います。

町内でお気に入りの場所はありますか?

やっぱり海ですね。島国育ちなので、海自体は小さな頃から見てきているんですけど、琴浦から眺める日本海は波の立ち方がシャープでかっこいいなと見惚れちゃいます。実は琴浦町内で最初に働いたお店 totonoi(e)に海を一望できる大きな窓があったんですけど、そこから眺める海が一番好きでしたね.

これから琴浦町でやってみたいことはありますか?

これまでの経験を活かして、琴浦町民全員をタレントにしたいです。タレントにすると言うのは、ぼくがその人とお話をする中で、まずは人となりを知って、その人に存在価値を伝えると言うこと。どの方も自分自身のことを「普通」って言われますけど、聞いてみたら、すごい経験をされているんです。東京からやってきたぼくにすごいと言うけども、普通に琴浦町で生活しているみなさんの方が何百倍もすごい。傷を持っていたり、なんか滲み出てるんですよ。そんなみなさんの過去に価値をつけたいんです。これまで気づけなかった価値を知ることができれば、頑張らなくても食べていける町にできるんじゃないかなって。 その人の長所を見つけて、どうすれば伸びるのか、町民さんひとりひとりに歩み寄った、そんなサポートができたらないいなと思います。

これから琴浦町に移住を検討されている方に一言!

正直なことを言うと、本当に大変だと覚悟して来てほしいです。特にぼくみたいに都会の整った環境からくると、自然との暮らし方を知っていないと厳しいと思います。草刈りや雪かき、雨が多いから湿気との戦い。虫も当たり前だし、海が近ければカニが室内を歩いていることもある。どれも対処するのにお金も体力も使うんだぞって思ってきて欲しい。そして、ちゃんと覚悟を持ってきてくれた人のことを地域の人はあたたかく迎え入れてくれます。地域で「来てくれた人は大事にしたい」と思ってくれる土地で、ぼく自身もとても助けていただきました。それに、都会のような整えられた環境で暮らすんじゃなくで、町に入って自分の生活環境を作る経験ができたのがぼくは良かったです。覚悟を持って、検討してみてください。