斎尾廃寺跡

2022年9月13日

山陰唯一の国指定特別史跡


 

 斎尾廃寺跡は伯耆国八橋郡にあった白鳳期創建の古代寺院跡です。昭和のはじめ頃までは比丘尼塚と呼ばれており、古墳と考えられていたようです。昭和6年に京都大学の梅原末治氏らの現地調査により、礎石や出土瓦の発見から古代寺院の塔及び金堂の基壇跡であることや、法隆寺式の伽藍配置であることが明らかとなりました。また、昭和8年には東京帝室博物館(現東京国立博物館)の石田茂作氏らにより発掘調査が実施され、金堂の北側に講堂跡の礎石も発見されました。現在この主要伽藍地では、塔や金堂の基壇跡とともに、調査でみつかった礎石なども見ることができ、古代地方寺院の主要堂塔の遺構を地上から視認できる貴重な遺跡です。

 出土遺物は現在京都国立博物館、奈良国立博物館、鳥取県立博物館、琴浦町教育委員会が所有しており、仏頭や三尊塼仏など堂内荘厳を窺うことができる遺物が出土しているほか、山陰唯一の紀寺式の軒丸瓦(外区:雷文、内区:八葉複弁蓮華文)、法隆寺式の軒平瓦(忍冬唐草文)、蓮華文が施された鴟尾など貴重な出土遺物が見られます。

 近年では、斎尾廃寺跡の範囲確認調査により、寺院地を区画する溝が数条確認されたことから、町では史跡の追加指定、公有地化に取り組んでいます。この区画溝からは「八寺」と墨書された古代の土師器が出土しました。郡名が八橋であることから、「八寺」や「八橋寺」が略されたものと考えられます。斎尾廃寺跡はかつて郡名を付した寺院であったようです。

 

全景
斎尾廃寺跡

(奥:講堂礎石跡、左:塔基壇跡、右:金堂基壇跡)

 

出土遺物

 

斎尾廃寺出土遺物

(左:三尊塼仏、右上:仏頭、

右下:「八寺」墨書土器)


 

 

お問い合わせ

社会教育課
電話:0858-52-1161