赤崎台場跡
2016年3月3日
鳥取藩台場跡のひとつ~赤崎台場跡~
平成26年の発掘状況
赤崎台場は、藩倉があった赤崎の防備のため、文久3(1863)年につくられました。
設計では由良台場と同じ武信潤太郎が関わりました。西洋式の城塞プランが採用された、鳥取藩内の台場では唯一の半円形をした台場でした。全国的に見ても半円形の台場は極めて少なく、赤崎台場の大きな特徴です。
築造では、当時の鳥取藩が財政難であったため、大庄屋の河本家からの寄付や周辺の農民たちの積極的な協力によってつくられました。
昭和33年から始まった国道9号の工事により、台場は埋め立てられてしまいました。現在、往時の姿を見ることはできませんが、平成25・26年に行われた発掘調査の結果、ほぼ当時のかたちを留めていることが分かりました。
鳥取藩によって築造された台場は9ヶ所ありました。そのうち現存する5ヶ所の台場跡がすでに史跡に指定されています。
そして、平成28年3月1日に「史跡 鳥取藩台場跡」に追加指定されるかたちで、赤崎台場跡が加わりました。
海岸より見た赤崎台場跡(北東より)
赤崎台場跡模式図