「赤崎台場跡」が史跡鳥取藩台場跡への追加指定をするよう答申がありました!!
文化庁の文化財保護審議会(会長 宮田亮平)は、平成27年11月20日(金)開催の同審議会の審議・議決を経て、「赤崎台場跡」を「史跡鳥取藩台場跡」への追加指定をするよう文部科学大臣に答申されました。
この結果、近日中に行われる官報告示を経て、国史跡として追加指定される予定です。
●鳥取藩台場跡とは?
台場とは、江戸時代後期に、幕府や諸藩が主に外国船からの防衛を目的に築いた海岸砲台で、全国で1000箇所以上が造られたとされます。鳥取藩でも、自国の海岸防備のため文久3(1863)年~元治元(1864)年にかけて、藩内の重要港湾9箇所(浦富・浜坂・賀露・橋津・由良・八橋・赤崎・淀江・境)に台場が築造されました。このうち、由良・境・淀江・橋津・浦富の5台場が「史跡鳥取藩台場跡」として国の史跡に指定されています。
●赤崎台場跡ってどんな台場?
赤崎台場跡は、江戸時代後期に鳥取藩が築造した9箇所の台場の1つです。戦後まもなくまで築造時の姿で残っていましたが、昭和33年から始まった国道9号工事に伴う残土によって埋め立てられてしまいました。琴浦町教育委員会では平成26年の調査で、三段構造の土塁を確認しました。幕末に描かれた絵図と照合した結果、土塁の全体的な形は半円型で、各段は外側から、敵の砲弾を防ぐ「護胸壁」、大砲と据えた「砲壇」、兵士が行き来した「往来」であることが分かりました。
●赤崎台場跡の評価
今回、赤崎台場跡が追加指定の答申を受けた理由として、以下のことが評価されました。
・平成26年の発掘調査により、台場の遺構が良好に残っていることが判明したこと。
・発掘成果と絵図の照合により、その構造が明らかになったこと。
・文献史料調査から台場築造の経緯や運用の実態についても解明が進んだこと。
・幕末の地方社会の情勢を象徴する遺跡として学術的に重要であること。