広報ことうら160
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 斎尾廃寺跡は、加勢蛇川の東、斉尾集落の南側にある史跡で(図1)、「斉尾にある、かつてお寺だった跡」という意味です。 お寺が造られた時期は、見つかった瓦などから、7世紀後半(約1350年前)と考えられています。また、9世紀ごろ(約1100年前)までは、お寺として実在していたと推測されています。 斎尾廃寺跡の建物の配置は、奈良県にある法隆寺と同じ配置(図2)で、屋根にふかれていた瓦も、建てられた当初は法隆寺や紀寺(奈良県)と同じ文様の瓦を使っていたようです。この瓦を使用していたお寺は、山陰地方では唯一、斎尾廃寺跡だけです。史跡ロマン斎尾廃寺跡の大発見 山陰唯一の特別史跡「斎尾廃寺跡」。そんな偉大な遺産が、私たちの町、琴浦町にあります。 この遺跡を調査した結果、また1つ、斎尾廃寺跡の真実に近づくことができました。今回の調査から得た発見は、一体どのようなものだったのでしょうか。図1 斎尾廃寺跡の所在地図2 斎尾廃寺跡の建物の配置法隆寺と同じ文様の瓦紀寺と同じ文様の瓦斎尾廃寺跡の建物の屋根にふかれていた瓦独特の模様が特徴です↓→金堂(こんどう)寺院の本尊の仏像を安置する建物。講堂僧侶が仏教を学んだり、法要を営む神聖な建物。中門(ちゅうもん)正面の門回廊「斎尾廃寺跡復元想像図」 山陰唯一の特別史跡塔お釈迦様の骨をまつる建物。仏教寺院で最重要の建物。H29.12.14H29.12.1特 集 史跡ロマン斎尾廃寺跡の大発見

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