小泉八雲と琴浦町八橋のゆかり

2007年12月20日
八橋海岸に「小泉八雲、セツ来訪記念碑」を建立するまでの経過や、小泉八雲と八橋とのつながりなどを紐解いてみましょう。

八橋海岸に
小泉八雲、セツ来訪記念碑建立

小泉八雲、セツ来訪記念碑.jpg

琴浦町観光協会では、歴史と文化を大切にしながら、町の観光資源を開発していくことも計画に入れて、活動を行っています。
小泉八雲と八橋とのつながりに注目していた東伯町観光協会(現・琴浦町観光協会)では、このつながりをもとに、新たな観光資源の一つとして発展させたいと、平成14年から検討を始めました。
平成15年度、折しも小泉八雲の没後百周年にあたり、事業の具体化が進みました。
町と観光協会、地元の八橋振興会が連携し、八橋の浜辺に来訪記念石碑を建立することが決まりました。
その後、小泉八雲のひ孫で、松江市在住の小泉凡さんに、大変なご協力をいただきながら、石碑が完成。
平成16年3月24日、現在の場所に建立されました。
これには、小泉八雲の生い立ちや琴浦町との関係など、細かな説明が書刻まれています。

 


 


小泉八雲と八橋とのつながり…

 

「小泉八雲」といえば、『耳なし芳一』をはじめとする怪談の著者として知られる作家。そして「セツ」というのは、彼が島根県松江市に住んでいたころに知り合い、数々の作品の執筆に協力したといわれる、彼の妻です。
彼らの「来訪記念碑」から、二人が八橋を訪れたことは推測はできると思いますが、その当時の様子を後の記録などからたどっていきたいと思います。

 

 


伯耆・因幡の旅

 

彼ら夫婦が結婚した1891年(明治24年)、八雲が日本で過ごす2回目の夏に、松江市から鳥取県内を日本海に沿って旅をしたときに、ここ琴浦町にも訪れたという記録が残っています。
子どものころから霊的な夢を見ることがあったという八雲は、それまでに一度、下市で盆踊りを見て、大変興味を持っていたそうです。
お盆になると精霊を迎えるために踊られる盆踊り。
その拍子や不思議な手振り、足の運びなどに心を奪われたというようなことが、彼の紀行文の中に記されています。
そんな八雲が、新婚旅行を兼ねたこの旅に選んだのが8月、それもお盆の時期。そして、その行き先がここ鳥取県だったのではないかと考えられます。

 


「中井旅館」に宿をとる

 

琴浦町でのできごとは、八雲が友人のチェンバレン教授にあてた手紙の中に、つぎのように記されています。

八橋は静かできれいです。
宿屋も他のどこよりもよい宿です。
不思議なことに海では誰も泳いでいません。
それで私が水泳すると町じゅうの者が来て見物します。
ここでも盆踊りがありません。


この手紙の一文に出てくる旅館というのが、現在もその姿を残す「中井旅館」のことです。
この旅館は、14年前に閉館されていますが、表には看板が残っています。
そして建物の中は、食堂や客室、中庭、厨房には食器なども残っていて、宿泊や宴会などでにぎわっていた当時の様子が目に浮かぶようです。

 


八橋に好印象

旧中井旅館.jpg

今ではこの建物の北側にも民家が建ち並んでいますが、当時は、この旅館の裏側からすぐに海に出られるようになっていて、2階の客室からもこの海を見渡すことができたそうです。八橋で過ごした期間を、八雲はつぎのように記しています。

私は八橋ではとても愉快でした。
眠り、食べ、泳ぎ、まったく快適です。


東伯町制施行50周年記念誌「東伯百景」の中にも、「小泉八雲が歩いた八橋…逢束」と題して特集しています。

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